というようなことを、木皿泉氏が仰っていました。同感です。

 

ところで家族や友人と買い物をしているとき、「なんでそんなの買うの?」と言われ、答えに詰まってしまうことはありますか?
ありますよね。
きっとあると思います。

他人の共感を得づらい買い物といっても、やたら漫画を買うとか、新発売の歯磨き粉はとりあえず買うとか、そういう話ではありません。
どちらも(多分だけど)使い道はひとつ、でもここで取り上げたいのは使途不明物のことです。
三度の飯を抜いたとしても東奔西走買い集める突き抜けた蒐集家さんも――尊敬していますが――、ちょっと違います。
コレクション目的ではなく、愛でるためでもなく、使いたいのはやまやまだけれど今は何に使うのか皆目わからない、でも買っちゃう、そんな買い物の話です。

使う当てはないのにボタン売り場に吸い込まれて出てこない人。
日曜大工はしなくてもハンズで工具を吟味してしまう人。

同じように私にもつい買ってしまう使途不明物があります。
それは容れ物。
何を容れるのかわからない、〈何か容れ〉です。

 

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作業机周りで目についただけでこんな感じ。
ひとつひとつは小さいし、ほとんどが数百円のものなので別に反省も後悔もしていません。
ただ、「これはなぜだろう?」とふと疑問に思ったのです。

こまごましたものは沢山ある家なので、ありがたいことに使い道はちょこちょこ見つかります。
例えばハンコ。
同じハンコ同士でも、年一で使うもの(年賀状用ハンコ)と週一で使うもの(屋号ハンコ)を一緒に収納するのは具合が悪いときもあります。
出し入れが便利な場所にはよく使うものしか置いておきたくないのが日本の住宅事情だったりしますから。
で、よく使うものを〈何か容れ〉に入れれば、それは立派な屋号ハンコ容れです。
我ながらだいぶ言い訳くさいですが。

でも、必要じゃないものを買うのは贅沢で楽しい。
〈何か容れ〉には何を容れるか考える楽しみも、ピッタリなものが見つかったときの「おお!」もついてくる。
だからやめられないんだと思います。
そこから何がにじみでているのかはわかりませんが。

結婚して驚いたことのひとつが、夫もこの〈何か容れ〉を買う人だったということ。
そして人間としての器の違いなのか何なのか、ひとつひとつが大きい。
同じ円筒形の缶でも、私が買ったものが4㎝×6㎝、彼のは30㎝×45㎝もある!
一緒に買い物にいくと、お互いに「それ、何容れ?」と思いつつ、人のことは言えない者同士、「いいんじゃない?」ということになる。
そうして〈何か容れ〉が増えていくのです。

最近骨董市で夫が買った〈何か容れ〉。

 

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まさかの宝箱。

幅40㎝くらい、南京錠を付けられるわりと本気の宝箱です。
なんという夢のある〈何か容れ〉。
部屋の片隅にあるこの宝箱が目に入るたび、ちょっと笑ってしまいます。

何を容れようかな。
〈何か容れ〉容れはどうかな。