どうでもいいこと

地に足がついた日のこと

初めて下北沢へ行った日、マルチカラーのマフラーを買った。

東京へ出てきて間もない頃で、当時私は駅地下のお店で働いていて、その駅から徒歩数分のところにある古アパートの3階に住んでいた。
便利なわりに賃料は安く、外壁に貼られた青緑色のタイルと老婦人大家さんが飼っていたチンチラ(猫のほう)が可愛かった。

契約時に女性限定のアパートと聞いていたにもかかわらず隣人が男性だったり、それでも洗濯物は屋上に共同で干さなければならなかったり、他にもいろいろびっくり要素の多い物件だったが、大都会ハイだったのでそれもこれも「東京っぽい」と思っていた。
ちなみに隣人は大家さんの息子さんで、女性限定は嫁探しのためかと妙に納得してもいた。

このアパートでいちばん驚いたのは別のこと、マフラーだ。

夏に東京へ来て秋にマフラーを買い、冬に使って春に洗濯、翌冬押入れの奥から出したそのマフラーに10箇所以上穴が空いていて、「嘘やん」と思った。
虫との戦いを年中強いられる田舎の家で育ったけれど、ここまでひどい虫食いは見たことがなかった。
なのに、え、なんで東京で?嘘やん。

東京のアパートにもマンションにも普通にヒメカツオブシムシやヒメマルカツオブシムシはいると後に知ったけれど、そのときはとにかく驚いて、ショックというよりただ驚いて、それから、東京も地続きだという当たり前のことを実感した。
こうして田舎者の大都会ハイは人知れず終わったのだ、下北マフラーを犠牲にして。

 

いやいや、マフラーそれしかない。
でもこのまま使うのは恥ずかしい。
そんな理由で、仕方なしに繕った。

今ならダーニングで穴を埋めるか、極細糸で編んだモチーフを縫い付けるかすると思うが、当時はなぜか穴を丹念にかがっている。
刺繍糸と謎の熱意でもって穴を広げる勢いでぐるりんと。

 

2016-05-29 001

 

このとき夢中で繕った楽しさは今も覚えていて、その後の手しごと、たとえば何かを直すということや、tagottoの糸を巻く工程にも繋がっているような気もする。

 

 

 

 

ここ数年はまったく使わずしまいっぱなしになっていたそのマフラーを、思い切って湯たんぽカバーにしました。
虫食い穴も生かす形で巾着に。
虫が脇目も振らずに食べ散らかすだけあって肌触りがよく厚みもあり、湯たんぽカバーとしては必要十分。
形は変われどまだまだ長く付き合っていけるんじゃないかな。

 

2019-12-13 14.18.24

 

切ったり縫ったりしながら思い出した昔話でした。

フラグメンツあるいはエレメンツ

無印や近所で買ったノート、スマホのメモ、PCのTeraPad。
やたら何かを断片的に書き残して読み返しもしない。
年の瀬だし整理しようと思いました。
だいたい2年分くらい。
不必要になったもの(買い物メモなど)は消し、大事なもの(tagotto関連など)は別に保管し、などなどしていたら、ちょっとなんとも言えないメモが幾つかあったので、振り返りつつここにまとめてみたいと思います。
いつも以上に個人的でどうでもいい内容ですのであしからず。

 

 

2019-12-28 13.16.23

 

・素行 そぎょうじゃなくそこう

これはアレだ、いつも読み間違うヤツ。
多分、所業とごっちゃになっているんだと思う。
「しょぎょうとごっちゃになってるから」と頭のなかで確認してからじゃないと、今も「そこう」と読めません。

 

・濡れ落ち葉と耳年増

この組み合わせはなぜか、昔から年イチくらいで頭に浮かぶ。
語呂がいいからかな。
誰か何かのキャッチコピーに使えばいいのに。
長い間どちらも、特に濡れ落ち葉はもう四半世紀くらいは見たことも聞いたこともありませんが。

 

・さだめしさだまさし

まるで記憶にないけど、おもしろいと思ったんだろうな。
いつ使うつもりで書き残したのかと当時の自分に問いたい。

 

・オレンジとカラタチでオレタチ

高校時代の生物の授業で、掛け合わせの例としておじいちゃん先生が嬉しそうに教えてくれた新しい柑橘の名前。
急に思い出して最近メモした。
この先生に関しては、あとはハンカチを「ハンケチ」と言っていたことしか覚えていない。

ところで「オレタチ」という果物、あれから随分時間が経ったけれど全然世に出てないな、と思って調べてみた。
なんと名前がオーラスターに変わってた!
どっちにしろ知らないけど。

 

・感謝こそ…すれ…て…され…?

去年の春の展示販売会、両親が遠方からわざわざ来てくれた。
こういうものを作っている、ということはもともと2人に話していたが、販売会の日程などを私から連絡したことはなかった。
連絡すれば見たがるだろうと思っていたし、気軽に来れる距離ではないし、父は当時病み上がりでもあったので。
だから両親は私から聞いたわけではなく、私の幼なじみM(実家がはす向かい)が父とたまたま顔を合わせ、彼女との世間話で知ったらしかった。
共通の話題として私のイベントのことを持ち出したMの気持ちはわかるけれど、結果としてまあまあ大変だったので販売会終了後に電話でMに少しぶうぶう言って(「そりゃ言うわー、口止めしといてよー」という彼女の言い分はごもっとも)、最後に「ま、親孝行になってよかったけどね」と締めくくったとき、Mが電話の向こうでこう言った。
「そうやろ?感謝こそ…すれ…て…され…?文句言われたくないわー」

両親と夫が来てくれたこと、ついでに兄も来たがっていたけど断ったこと、母がイヤリングを買ってくれたこと。
いろいろあったが、友人が「感謝されこそすれ」をスッと言えなかったというとてつもなくどうでもいいことが妙に印象に残っていて、後日メモったのです。

 

・いや、私のなかであの人は、ローマ字でKEISUKE HONDAだから

確かロシアW杯が終わってしばらく経った頃、近所の商店街をぼんやり歩いていたら耳に飛び込んできた、女子中学生の言葉。
前後の会話の流れもこの言葉の意味もさっぱりわからないながらも漂っていたのはリスペクトの空気で、ちょっとふふふっとなったのを覚えています。

 

 

長くなってきたのでこのあたりで。

今年も本当にありがとうございました。
皆さま、どうかよいお年を!

9月の夜長の頭のなかは

2019-08-26 12.36.07

 

誰かに聞いてみたいと、もうずっと思っていることが幾つかある。

日常では耳にしないのに、なぜフィクションに登場するおじいちゃん(やときにおばあちゃん)は語尾に「~じゃ」「~じゃよ」を付けるのだろう。
ためになることを言うときには特に。

時代劇や日本昔ばなしならまだわかる。
一人称が「拙者」の人や機を織る鶴にも会ったことがないから、トータルで納得できる。
ファンタジー色が強ければ、たとえば「うしおととら」において東の妖怪を統べる長が「~じゃ」を連発していても、「うん、言いそう」と思える。
でも実話をもとにしたヒューマンドラマや現代小説、あまつさえなにがしかの再現VTRなどにも、唐突に「~じゃ」じいちゃんは現れるから困惑する。
つい最近も某古道具屋を舞台にした小説を読んでいて困惑したばかりだ。

祖父をはじめ、かつて袖すり合ってきたおじいちゃんたちを思い浮かべてみる。
実家のご近所さん。
高校の生物の先生。
弁当屋でアルバイトをしていたときの常連さん。
学芸員の実習で話を聞いたお寺のご住職。
マンションの管理人さん。
文房具屋さんの店主。

確実に言ってない。
世間話も老馬の智も、誰もじゃよ調で言ってない。

となるとこれはもう、アレだろう。
きっと符丁のようなものなんだろう。
語尾に「~じゃ」を付けることでそのじいちゃんがただのじいちゃんではなく、千里眼か見識高き語り部か、何にせよありがたいことを進言してくれる特別なじいちゃんですよという印なのだ。
「帰ってきたらうがいをしなさい」ではなく、「帰ってきたらうがいをするもんじゃ」と言われたらもう、そそくさとうがいしちゃうもの。
数千年に渡る人々の営みとうがいの歴史を感じずにはいられないもの。

…ということで、日本に3人にひとりはいると思われる「~じゃ」が気になって仕方ない派は納得してくれるだろうか。
私はこれからも、漠然と困惑し続けると思う。

 

2019-09-12 12.01.41

 

スポーツ選手はどの段階でサインの練習を始めるのだろう。
オリンピックで金メダル取ったとき?遅すぎるな。
オリンピック出場が決まったとき?
野球なら甲子園?
「タッチ」で上杉達也が近所の人に頼まれて大量の色紙にサインをしていたのはいつだったっけ。
いや、それともあれは南ちゃんだっけ。

私は小学生のとき、スポーツ選手でも将棋の棋士でもクラスの人気者でもなかったけれど、「ある日サインを頼まれたら」「急ごしらえで書いたサインが超絶ダサかったら」という想像をして怖くなったことがある。
子どもの頃から一芸に秀でていればなおさらだろう。
だからきっと答えは「運動会でリレー選手に選ばれたとき」だと思う。
今も昔も世界中の小学生のノートには、無数の、誰にも見られることのない素敵なサインが並んでいるんだ、きっと。

 

 

読み返してみたら、「うしおととら」で「~じゃ」を連発していたのは西の長(若い方)、つまり方言でした。納得。
ちなみに画像は本文とまったく関係ないけれど、夏の間に縫った古布の暖簾と座布団カバーです。

 

夏の終わりに

前回投稿のあと、本格的な、長い長い梅雨が始まって終わり、夏が来て、さらに秋の気配を感じるまでに時間が経ってしまいました。
何をしていたかという話の前に、先週末、風鈴を買ったのでまずはそのご報告です。

以前書いたとおり、我が家にはすでに3つの風鈴があり、つまりこれは4つめの風鈴です。
たった今書いたとおり、秋の足音が近づきつつある今日この頃に、です。

いや、どうすんのこれ。

 

2019-08-27 15.30.15

 

自転車で、買い物がてら近所を散策していたわけです。
タオルハンガーとか、吊り下げられる大きな籠とか、座布団カバー用の古い布とかを買って「今日はこの辺で勘弁してやるか」的に自転車を流していたら、某ショップの店頭に並んだ風鈴を見て夫がいそいそと近寄っていきました。
お店は閉まっていたので残念そうでしたが、帰り道、偶然その風鈴を作っている工房前をとおりかかり、気づいてUターンする夫、追いかける私。
店主とのなんやかんやのコミュニケーションの末、4つめの風鈴が我が家にやってきたのです。
これはもう、仕方がないのです。

上の画像だと普通の風鈴に見えますが、実は意外とミニサイズ。

 

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銅製の愛らしいヤツなのです。
清涼感のなかにも情緒と奥ゆかしさのある音で鳴るのです。

ひとまず、工房名が入った短冊を、裾上げしたパンツの切れ端(今回もワックス処理済み)に変えてみました。
とても、よい。

先月から軒先で揺れているガラス製風鈴に早々に暇を告げるか、それとも来年の楽しみにとっておくか、悩ましいところ。
とりあえずしばらくは、これを持って家のなかをうろうろすると思います。

 

 

先月引っ越しをしました。

8年住んだ以前のマンションは、交通の便も暮らしやすさもあって大家さんが素敵なご夫婦で、何よりとても気に入っていた部屋だったので、後ろ髪を引かれる思いもありました。
近所には長い付き合いの友人、お世話になった商店街のコーヒー豆屋さん、美容師さんがいて、離れがたい街でもありました。

それでも、最初は一本だったこの新しい土地との縁の糸がここ数年でどんどん増え、彼女/彼らの存在があったことで不安なく転居に踏み切ることができました。
本当に稀な、幸せなことだと思っています。

おススメ物件情報をまめに連絡してくれたり、夫の通勤へのアドバイスをくれたり、近くへの引っ越しを笑顔で喜んでくれたり、内見に付き合ってくれたり、してくれて本当にありがとう。

見上げれば都庁、見下ろせば首都高という大都会のマンションから、とても静かな場所にある戸建てへ。
建物が古い、という以外はほぼ真逆の住環境となりましたが、みんなのおかげでとても快適に過ごせています。ありがとう。

 

 

心配事があるとしたら。

引っ越しを手伝ってくれたときに3つの風鈴を全部吊るそうとしていた友人に、4つめの存在がバレたらどうなるのか、ということくらいかな。

密やかなバッグの中身

雑誌などに載っている、日常使いのバッグとその中身を紹介するコーナーが好きで、よく見ます。
素敵なバッグはそれだけでもぐっとくるのに、何をどんなふうにいれて使っているのか、道行く人や友人にさえなかなか確認させてもらえないそのことを、バッグから出して並べて真俯瞰で撮られた写真があっけらかんと教えてくれますから。

マリメッコのポーチや刺し子のがま口を使っている人はきっとファブリック好きなんだろうな、とか。
黒い革モノが多い人はアイアンの家具を持っていそうだな、とか。
そんな想像を膨らませつつほうほうと眺めます。
ごく狭い空間の限られたアイテムゆえ、その人の家以上にその人の個性が出ているかも、と思いながら。

個人的には、そんな写真は撮られたくなんかありません。
今日のバッグの中身は確認しなくてもわかります。

・レシートでぱんぱんの財布
・むき出しの龍角散のど飴とリップクリームとハンドクリーム
・しわくちゃのハンドタオル
・ボロボロのノートとシグノの極細ペン
・年始に酒屋でもらった酒粕の説明書
・新宿でもらったポケットティッシュ
・堀江敏幸「もののはずみ」(これだけ恥ずかしくないのがかえって恥ずかしい)

小物がむき出しなのはこの前友人宅にポーチを忘れてきたからですが、それにしたってどうでしょう。
違うポーチを使えばいいじゃないですか。
酒粕の説明書もとっくに読んだんだから捨てなさいよ。
せめてバッグから出しなさいよ。

と自分を叱咤する気持ちもありつつ、ずるずるそのまま持ち越してしまう。
バッグも中身も美しい人たちを尊敬しています。

先日会った幼なじみとなぜだか化粧ポーチの話になり、彼女がバッグからポーチを取り出して見せてくれました。
スマホケース、財布、ポーチ、が青のグラデーションになっていて、「鞄の中にこんなふうに入っていると綺麗で嬉しい」のだそうです。
でも「このポーチだけ思っていた色じゃなかったからちょっと嫌(ネットで買ったから)」とも。

言いたいことはわかるよ。
もっとマットで、彩度が低めの色味がよかったんだよね、きっと。
でも今でも充分、はっとするほど美しいよ。

彼女はそうだった。
自分の快適さに妥協しない人だった、昔から。
お手本は、子どもの頃から近くにいたんでした。

私の個性がしわくちゃでボロボロでバラバラなだけにならないよう、せめて「バッグの中身がこんな人が作ったアクセサリーはちょっと…」と思われないよう、彼女に倣って精査しよう。
どこかでお会いしたときには、気軽にバッグの中身をお見せします、きっと。

 

そのためにという訳ではないのですが、はぎれの風呂敷をたくさん縫っています。
これは私らしさでもあり、きっとあなたらしさでもあるでしょう。

 

2019-02-28 11.46.57