たとえば銀座に出るついでがあって、せっかくなのであそこにもあそこにも行こうなどとわくわくしつつ(手持ちのなかでは)銀座的な服を着て家を出る。
どんな順番でどこをまわってどのタイミングでお茶をして、なんてことを話し合いながら、道中見かけたよさげな店でお昼を食べる。
美味しいねえ。
全然知らなかったけれど、いいとこ見つけてラッキーだったねえ。

と、そんなときに限って、服にシミをつくってしまいます。
こういう中身の人間として何十年も生きてきているのに、いまだに。

もう帰りたい…と思いつつも済ませなければいけない用事もあるので引き返すわけにはいかず、トートバッグを胸元に抱えたりしてごまかしながら、銀座をゆく。
すれ違う人はみな背筋がしゃんと伸びている。
お店で店員さんに声をかけられ「シャツにシミのある私ごときがごめんなさい」とひるんでしまう。
休憩したベンチで隣り合ったハイファッションガイの膝には551の紙袋があって、懐かしいな、近くで催事があったのかな、でも豚まんなんて絶対シミになる食べ物だよな。

もう何を見てもシミを思い出す、この時間。
銀座で服にシミができてしまったあとのこの時間は、誰にもなんとも思われていないことや夫が右でけたけた笑っていることとは関係なく、シミとセットでやってくる。

別に銀座じゃなくてもいいんですけどね、先週末はたまたま銀座だったんですよ。
ランチはラーメンでもカレーうどんでも豚まんでもなく、タイ料理でした。
美味しかったです。
ドーバーで見たsacaiのセーター、可愛かったです。

そんな自分ではどうしようもない、通り過ぎるのを待つしかないような時間について、最近よく思いをめぐらせています。
治療後歯の痛みが消えるまでの時間。
切りすぎた前髪が伸びるまでの時間。
シミのある服で家に帰るまでの時間。
みんなに、日常的にあるこんな時間が、つつがなく、できればあっけなく、過ぎていきますように。

 

タイトルは長島有「問いのない答え」より。
まさに接着剤を乾かしているあいだに読み始めたからか、この一節が気になって気になって、先がまったく頭に入ってこなくなりました。

 

2022-01-09 14.20.17