シャツが似合いません。
理由は肩幅、首の長さ、顔の形が実にのびのびと「シャツが似合わないための必要十分条件」を満たしているからで、たとえるなら初めてのデートでショッピング中、ほやほやの恋人が「え?絶対そんなことないよ!!」と言うから着てみたのに試着室から出ると無言でチベットスナギツネみたいな顔される、というくらいには似合いません。
シャツだけではなく、襟があってかっちりしたスタンダードな服――たとえばトレンチコートやジャケットなんかも――が一切ダメなものですから、高校の制服時代は本当に憂鬱でした。
さらに大学新卒時にいくつか出版社を受けて全落ちしたとき、「毎日シャツを着ないで済んだ」という一点でプラス補正されるほど、当時は気に病んでいたものです。
比較的大丈夫なものを探し、これは!と思って買ってみても家で着るとガッカリで、これこそは!と思って買い足そうにももう見つからない。
何で今頃そんな恨み節を書き連ねているかというと、週末に某ショップで服の試着待ちをしていたら、同年代と思しきご婦人(A子さん)が襟ぐりの形とご自身の顔映えとの関係性についてご主人に熱く語っていたり、別のご婦人(B子さん)がアウトソールの色がもたらす脚長効果をご友人に説明していたり、というのをたまたま聞いたからです。
わかるー、と思いました。
きっとみんな若い頃の悩みとトライ&エラーがあって、それぞれが身に着けるものに一家言を持つに至ったんでしょう。
A子さんとB子さんが越えてきた山を思い、彼女たちとちょっと一杯やりたくなりました。
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展示会前に、着色などの作業用に買った古いシャツ。
もちろんこのままでは似合わないので、手を加えます。
私の一家言は「オーバーサイズ・プルオーバー・スタンドカラー(ボタンは閉めない)」。
なので、襟を直すのです。
台襟(襟と身頃の間の部位)があれば襟を取るだけで済むのですが、なかったので取り外した襟を細く切って、後ろ側で継ぎ足して、縫い直す。
どうってことない作業でどうってことない仕上がりですが、満足なのです。
越えた山のおかげです。
でもそれはそれとして。
来世というものがあるならば神様、普通にシャツが似合ってみたいものです。