tagottoのこと

カバーの話 その1

子どものころ、家中をカバーが席巻していた時代がありました。

椅子やソファは当たり前、ドアノブ、トイレットペーパーホルダー、電話と受話器、トースターなどなど。
ものがあることが当たり前になる少し前、大切に、できるだけ長く綺麗に使おうという時代の風潮だったと思うのですが、当時はこのカバーがあまり好きではありませんでした。
なんかフリフリしてるし(表がレースで裏が小花柄のリバーシブルとか!)、汚すな壊すなのプレッシャーもすごいし、洗濯のためにカバーを集めてきてと言われるのもめんどくさい。
いつの間にか上記のカバーは減っていき、気づいたらほぼなくなっていましたが、ものに慣れたとか大切にしなくなったというよりは、母もただ洗濯と着脱が面倒になったんだと思っています。

時は流れ、今、我が家にはけっこうな数のカバーがあります。
刷り込みなのか、何なのか。
これはそのなかのひとつ。

 

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傘の持ち手カバー。
もともとは、出先で自分のビニール傘がわからなくなったり、またはなくなったり、というトラブルを避けるために作りました。
色、素材、太さがバラバラのたくさんの糸を使って編むのが楽しくて、以前ワークショップをやらせていただいたこともあります。

ところで、細編みなどで筒状に編むと編み地が右方向に斜行します。
棒針編みと違い、かぎ針編みは下段の〈真上〉ではなく〈右に半目ずれたところ〉に上段が乗っかっていくので、同一方向に編み進めると上へいくほど右にずれていってしまいます。
細長ければ細長いほど、なんかくねくねしちゃうのです。

ご注文をいただくようになってから、これを修正しました。
斜行の解決には、往復編み同様に表と裏を交互に見ながら編むなど方法はいくつかあるのですが、手前側の半目をすくう細編み(裏側がすじ編みになる)で編むのが簡単でおすすめです(引き抜き編みのみ通常の編み方)。

 

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左が通常の細編み、右が修正後の編み地。
引き抜き編みの位置を見ればやはり随分違いますね。

すじ編み同様、縦方向に若干長くなるので正方形を編むには向きませんが、持ち手カバーには願ったり叶ったりです。

 

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家に半端な毛糸がたくさんある方は、おひとついかがですか?
少なくとも傘の紛失はなくなりましたよ(※個人の感想です)。

 

 

余談ですが、岡崎京子氏も自作のなかで、実家の象徴としてポットの花柄やテレビの上のコケシとともにフリルの電話カバーを挙げてましたね。

実家の象徴、今の若い人にとっては何だろう?

彼女と彼女のお店にて

共通の友人を介して知り合った彼女は、肩書が「店主」でした。
第一印象は「シュッとしてはる」。
背は高く髪は短く、道は直角に曲がりそうなイメージ。

かれこれ6年ほどの付き合いになりますが、最初に抱いた印象は驚くほど変わりません。
シュッとしてるところが他にもいろいろあることを知ったくらい。
やることなすことすべてスマートだ、ということではなく、むしろ愛すべきオチ担当というときもあるのだけれど、何しろ哲学が、美学が、シュッとしているのです。
そして彼女のその不器用なまでのシュッとさを、私はとても尊敬しているのです。

有名なケーキ屋さん。近所にできたサンドイッチ屋さん。洒落たパン屋さん。
いろんなお店屋さんに行くたびに、そこの店主は私のなかで「彼女っぽい」「彼女っぽくない」の2種類に分類されます。
そして「彼女っぽい」店主のお店には、また行きたいと思ったりするのです。

3月30日から4月1日までの3日間、今年も彼女のお店でtagottoの展示販売会をさせていただきます。
絹糸の定番アクセサリーと、綿糸を使った植物モチーフの大ぶりなアクセサリーもたくさん並びます。
下記からイベントページにて詳細をご覧いただけます。

tagotto facebook

美味しいコーヒーとケーキのついでにちょちょっと手に取っていただければ幸甚です。

 

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しろも いろも

 

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もう20年近く前になりますが、友人が手製の小さな布バッグをくれました。

ガーゼ地に厚みのあるレースモチーフがラフに縫い付けられ、しつけ糸の束を持ち手にしている。
手縫い部分に使われているのは白の絹糸。
今じっくり見ても、どこもかしこも好きなテイストです。

と、言いたいのですがそうではない。
このバッグが、このテイストを好きな私を作ったのです。

これをもらってから、興味のなかったレースを違った目で見るようになり、かせ状の糸を可愛く思うようになり、あるときイベントで見かけた大量のしつけ糸を買うに至ったのです。

そして昨年末、リースの制作にそのしつけ糸を使いました。
かせ糸のままで輪飾りのようにねじって作ったリースと、その際に余った短いしつけ糸で葉のような羽根のようなモチーフを作ったリース
それがまた楽しかったので、今、しつけ糸でアクセサリーを作り始めています。

友人曰く、糸や古いレースはお母様が集めていたそう。
細く長くさまざまな縁あって、tagottoは今日も何かしら手を動かしています。

ありがとう。

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タイトルの「しろも」(白毛)は白いしつけ糸、「いろも」(色毛)は染色されたしつけ糸の名称です。
名前も可愛らしい。

リース展

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12月9日から17日まで開催される、かまわぬ浅草店さんの4周年記念イベント『リース展』に参加します。
いろいろな素材を扱う作家さんたちのリースが会場に集います。
浅草へお越しの際は、ぜひその景色を見にいらしてください。

『リース展』
2017/12/9(土)‐12/17(日)
10:30-19:00
かまわぬ浅草店2F

詳細はかまわぬさんのHPをご覧ください。

 

 

正直に言いますと、私にとってリースはあまりなじみのない存在でした。
いつからか、特にこの季節はドアにリースを吊るしているおうちを見かけることが多くなりましたし、お花屋さんやショップでも素敵だなあと思ったりはしていたのですが、自分で作ったこと、家に飾ったことはありませんでした。

みんなは人生のどのタイミングでどんなふうにリースと出会うのだろう。
私にとってそのタイミングは、この『リース展』でした。

ところで、リースの意味について少しだけ。
リースの環は永遠の象徴で、それは終わりのない神の愛や長寿を表しています。
そして玄関に飾る理由は、魔除けと、ドアを開けて家を出た人が無事にまたドアを開けて帰ってくる、そのくりかえしがずっと続きますように、という祈りの意味もあるそうです。

今回声をかけていただいて、まったく知らなかったリースについて少し考えたり調べたりして、ああ、これは作りたい、と思いました。
手仕事のもとのもと、それもきっと家族の健康や幸せへの祈りだろうから。
どの国でもいつの時代でも、誰かが誰かの笑顔を思って手を動かしている。
リースがそんな風景のシンボルのようにも思えたのです。

薪を割る父親と、庭で松ぼっくりを拾い集める子どもたち。
台所では料理をしながらその松ぼっくりとハーブでリースを作るフライパンマザー。
そんな想像をするだけで、幸せな気持ちになります。

 

 

tagottoは、さまざまな糸をさまざまに使ったリースをいくつか出品します。
毛糸、綿糸、麻糸、そしていつも使っている絹糸も。
なかには母や祖母から受け継いだ糸もありますし、先月の手紡ぎ糸も使っています。
リース初心者ではありますが、この糸も、誰かの笑顔に繋がっていればと願っています。

あ、松ぼっくりとハーブは使っていません。
紛らわしくてごめんなさい。

糸車を回しながら

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個人的な秋の年中行事のひとつに、糸車の手入れがあります。
普段はしまい込んでいる糸車を拭いてワックスがけするだけですが、木の乾燥対策としても、出したついでに使ってみようという気になる度からしても、寒くなりはじめが頃合いだと決めています。
今年も手入れを済ませ、今週から久々に糸紡ぎを始めました。

 

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もこもこ太い双糸と、細い単糸。どちらも綿です。
何になるかはまた今度。

 

糸紡ぎは、編み物の次に付き合いの長い糸仕事かもしれません。
あるとき友人にスピンドルでの糸紡ぎを教えてもらい、押入れを圧迫していた古布団の中身が使える=押入れが空く、という動機でわたを引っぱり出しつつ紡いでいました。
でも糸が作れるという驚きと、親指と人差し指の間からするすると糸が生まれ出てくる感覚が癖になってしまい、スピンドルを回す右手首が腱鞘炎になってもサポーターを巻いて続けていたほど。

その後運よく熊本の古い糸車を購入することができ、インターネットと図書館と電話を駆使してパーツを作り、調整し、回し、調整し…の日々。
見かねた前述の友人が和棉収穫から布に仕立てるまでのワークショップ参加券をプレゼントしてくれて、ようやくまともに糸車を操作できるようになりました。
習うより慣れる、が基本姿勢ではありますが、習ってからは慣れるのが早かった。
以前少し触れた織作家さんと、ワークショップでお世話になった鴨川和棉農園さんがいらっしゃらなければ、挫折していたと思います。
本当にありがたいことに、それからは手首を痛めることもなくゆるやかに、へたくそながらも糸紡ぎを続けてきました。

編むにも縫うにも結ぶにも糸は必要で、糸を通してこれまでいろんな人に出会い、繋がってこられたような気がします。
私にとって糸紡ぎはそれを思い出し確認するという時間でもあるのだと、糸車のハンドルをくるくる回しながら思いました。

今紡いでいるのは、100年近く実家に眠っていた布団の打ち直し用の綿。
なんだか布団の中身ばかり紡いでいるようです。