雑草標本展のお知らせ

 

7月28日(木)から、今年も逗子・サクラヤマパーラーさんにて雑草標本の展示をさせていただきます。
ありがたいです。
ありがとうございます。

会期:2022年7月28日(木) – 8月1日(月) 13時 – 18時30分
会場:サクラヤマパーラー
詳細:Facebookイベントページ




庭の雑草対策に端を発した標本作りも、季節を3周するまでになりました。
作った標本はとうに1,000枚を超え、名を覚えた庭の雑草の数も150ほどに。
その間、私と雑草との関係に果たして変化はあったのでしょうか。

雑草にも植物全般にもまるで門外漢だった私が、毎日通いつめて戸を叩き、やっと弟子入り志願の挨拶ができたと思ったら翌日には追い払われ、3年かかってようやく客間に通されて今、出てくるかわからないお茶を待っている。
端的に言えばそんな感じです。
つまり、変化があるのかないのかよくわかりません。

ちょっとした思いつきにひょっとして天才なんじゃないかと調子に乗ったり、すぐさま勘違いを思い知ってがっかりしたり。
ひとつわかれば同時に3つのわからないことがやってきたり。
相変わらずのそんな日々。
それでも標本は増えていき、それにまつわり新たに始めたことも幾つかあります。

今回、パーラー店主が掲げてくれたテーマは「雑草標本とその周辺」。
リアルな雑草標本の周辺である作業スペースは、今日現在とっちらかっていてとてもお見せできるものではありませんがそれはさておき、昨秋の展示以降に作った標本はもちろん、季節ごとのさまざまな雑草のチャームポイントを集めたリースや、小型の雑草を手漉き紙に合わせたカード、そして標本台紙の端材で作ったピアスなども、少しずつではありますが持っていきます。

それぞれの雑草の個性と美しさ、その周辺でうろうろうきうきし続けている私の迂遠、よろしければ覗きにいらしてください。
会期中は常時在廊しております。
好きな雑草のこと、苦手な雑草のこと、その他なんでもお話しできればと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

 

ところで待ち続けているお茶はこの先ずっと出てこないこと、うすうす気づき始めてはいます。
それだけでも昨年よりは成長したと思っています。

Webサイトを開設しました

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日傘ワークショップを手伝い始めたのが10年前。
編み物ワークショップが7年前。
アクセサリー制作を始めたのが6年前。
雑草標本が3年前から。
繕いもん会が1年前から。

振り返るといろんな紆余曲折もありつつ、いや紆余曲折ばかりですが、いつのまにやら10年が経ったんだなあと驚いてしまいます。

偶然にもそんなタイミングで、tagottoのWebサイトを開設しました。
ごくたまにではありますが、更新していこうと意気込んでいます。
もともと更新頻度の下降っぷりには定評のあった本ブログも、再スタートという気持ちで少しずつ書いていこうと決意を新たにしています。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

ありがとうございました

2021-10-10 14.17.09
 
 
 
11日までの雑草標本展、とてもたくさんの方にお越しいただき、標本をご覧いただきました。

本当にありがとうございました。

台風とともに始まった展示ではありましたが、その後はずっとお天気にも恵まれ、お昼、夕方、夜と光の変化に伴い表情を変えていく雑草たちに私も目を奪われることしばしば。
素敵な場所を提供してくれたサクラヤマパーラーさん、本当にありがとうございました。
書き出すと長くなるのでご来場いただいたお客様の言葉をお借りすれば、店主の人柄があってこそ、あの空間があってこそ。
会期中ずっと標本たちは輝き、私もルーペ片手に雑草話を繰り広げられました。
ありがとう。
いつも感謝しているけれど、感謝の井戸が噴水になりましたよ。

それから。
イベント開催に至るまでたくさんの方にお世話になりました。
名刺や紙袋に使わせていただいているtagottoのハンコを作ってくださったnorioさん。
いつ見ても惚れ惚れするクラマゴケの繊細さ、可愛さ!
ありがとう。

頭のなかにあった理想的額装をあっさりと具現化してくださったトップアート鎌倉さん。
額装にとどまらず、いつもさまざまなアドバイスをいただき本当にありがたいです。
これからもどうかよろしくお願いいたします。

2年間、ずっと標本作りを見守ってきてくれた近隣の友人たち。
私以外にも雑草標本に興味を持つ人がいる、と信じることができたのはあなたたちのおかげです。
そして標本を作り始めた当初に「これは興味深いなあ」と(珍しく)言ってくれた父にも、ありがとう。

最後になりましたが、雑草標本展に足を運んでくださった皆さま。
褒めていただくたびに「雑草がそもそも美しいからですよ」と答えていましたが、これはずっと本心でした。
人の褌ならぬ雑草の褌で相撲を取っている感覚が消えなかったので。
でも展示会を終えた今、望むところだ、と思っています。

またお会いできる日を楽しみに、雑草とともに相撲を取り続けていきます。
ありがとうございました。

展示会のお知らせ

2021-08-25 12.18.39
 
 
 
中学の軟式テニス部引退の際、顧問の先生から3年生ひとりひとりに封筒が手渡されました。
一筆箋に書かれた私への言葉をずっと覚えています。

「誰にも見られず褒められず 野の花は美しく咲く」

 


 

庭の雑草で標本を作り始めてちょうど2年。
足元に自生する美しい草を見つめ、その名を知り、形をとどめたいと願って家と家のぐるりを往復する。
その日々と季節の繰り返しは誰の役にも立たない、ただただ自分のための時間でした。
雑草が、種子を残すためだけに花を咲かせるように。

なのに一緒になって感嘆の声をあげてくれる人がいて、たくさんの人に見てほしいと言ってくれる人がいる。
少し戸惑ってしまうほどに嬉しい、幸せなことです。

10月1日より、逗子・サクラヤマパーラーさんにて標本の展示をさせていただきます。
強いわけでも、特別に根性があるわけでもない。
でもきっと知恵と工夫をこらして私たちと共存している。
そんなそれぞれに、さまざまに魅力的な雑草たちを見にぜひお越しください。
店主とともにお待ちしています。

会期 2021年10月1日(金)〜10(日)
   月・火曜 休み
会場 サクラヤマパーラー

※詳細はサクラヤマパーラーさんのFacebookイベントページをご覧ください。

 


 

ちなみに顧問の先生が言いたかったのは、「自主練サボっていただろう」だと思います。
ごめんなさいサボっていました。

さよならなんて云えないよ

小中学生時代、夜6時になるとラジオを持って家のなかをウロウロしていた。
AMラジオで野球中継を聞くため、中京圏の放送がきれいに受信できる場所を探し回っていたのだ。
父も兄もドラゴンズファンだった。
当時はほぼ巨人戦しかテレビでは見られなかったので、そしてテレビ中継は7時からだったので、我が家のナイターはいつも東海ラジオスタートだった(だから今でも「イチ、サン、サン、ニ、東海ラジオ~」というジングルを歌える)。
ペナントレースを熱心に追いかけなくなって久しいが、最近でも夫(ライトな巨人ファン)に付き合ってテレビを観ていると、「肘を畳んでの内角打ちが上手いなあ」とか、「打ちも打ったり捕りも捕ったりやな」と、かつての名残のフレーズが感想となって口をついて出る。

高校時代は演劇部だった。
特に演劇をやりたかったわけではないが、最初に入った写真部の暗室がちょっと生き急いでいる先輩方のたまり場になっていたため即日辞め、友人に誘われるままの転部。
演劇にも映画にも詳しい顧問の先生と、静かで泣けるシナリオを書く部長がいて、本のこと、古い映画のこと、新劇の流れのこと、いろいろ教えてもらった。
主に音響担当で様々な音源テープを切り貼りしていたが、一度だけ大会で舞台に立ち、暗転ではける際盛大に転んだ。
20代前半頃まではよく小さな劇場でプロの舞台を観たりして、観るたびそのことを思い出して恥ずかしくなっていた。
実は今でも早口言葉はちょっと得意。

大学時代、今度こそはと写真部に(写真の話はしないが)。
文化部棟はわりと行き来が盛んで、美術部、歴研部、軽音部あたりの先輩後輩が日々出入りしていて、なかでも軽音部には友人が多く、しょっちゅう一緒にライブに行っていた。
友人のライブ、友人の友人のライブ、そしてサニーデイ・サービスやフィッシュマンズなどなどのライブ。
音楽はずっと聴き続けているが、ライブには以前ほど行かなくなった。
それでも、今も友人の演奏を聴きに行く日はとても楽しみだったり、シャッフル(未だipod classicを使ってる)で流れてきた懐かしい曲に泣きそうになったり、ということは、よくある。

 

 

かつて小沢健二が歌っていました。

「本当は分かってる
 2度と戻らない美しい日にいると

 そして静かに心は離れてゆくと」

今の私には心も縁も遠くなってしまったものであっても、だからもうこの世に必要のないものだ、とは思いません。
かつてそれを必要としていた私は、今のあなたかもしれない。
それがたとえばヨガであったり、銭湯であったり、小さな居酒屋であってもそう。
今それを必要としているあなたも、今の私だったかもしれない。
いつかの誰かの「2度と戻らない美しい日」にともにあるのは、決して生命を左右しない小さなものと、それを共有する人です。
心が離れたあとにも残ったものを見つめ、願わくば優しくありたいです。

 

 

いつ、何がぽかんと失われてしまってもおかしくない日々のさなか、友人と話していて思ったことでした。
ひとつもそんな話はしてないんですけどね、なんとなく。