どうでもいいこと

うるさくても別にいいのだけれど

・電子レンジ
・トンカチ
・フライパン
・蝶番
・マグカップ
・ペンチ
・包丁
・キッチンばさみ
・奥歯

あなたはこのなかで、どれを使っていますか?

と問われてすぐに「私は断然トンカチ派!」とか「手軽なレンジかな?」と答えられる人はなかなかの通ですね。
何の通かって、「専用機器がない場合の銀杏の割り方通」です。

 

一昨年、長年使っていたキッチンばさみを買い換えました。
支点部分が錆びてしまい、何を切るにもやたら力が要るようになったからです。
総ステンレス、分解&丸洗いできるタイプにして今は何の問題もないのですが、古いはさみにあって今のはさみにない機能がひとつ、それが「銀杏割り」でした。

銀杏割りはずっと「キッチンばさみ一択!」だった私は途方に暮れました。
銀杏は美味しい。
好き。
でも季節ものだし、殻付き銀杏を家で調理して食べる機会は年に10回もない。
そのために何かしら買い足すのも気が引けて、今あるもので可能なあらゆる方法を試してみることにしました。
で、調べて出てきた主な用具が冒頭のリストです。

世界は広いなあ…とどうでもいい感慨を抱きながらメモを眺め、まず奥歯は問答無用で却下、蝶番は好奇心をくすぐられつつも大家さんへの申し訳なさから却下(でも意外と良さそうなので、興味がある方はぜひ試して感想を教えてください)、キッチンばさみはそもそも論外、なのでそれ以外を順に試してきたわけです。
以下、2年間の悪戦苦闘の記録です。

・封筒に入れて電子レンジでチン、はムラがあり、爆発する銀杏、いつまでも意地を張る銀杏が毎回いて、しかも目視できないので厄介。
あと破裂音がパチンパチンうるさい。

・トンカチでは私のやり方が悪いのか、何度チャレンジしてもなかなか割れず、コツもつかめなかった。
割り箸と輪ゴムで銀杏を固定する合わせ技もあるらしいが、まずそれが面倒くさすぎる。
あとガンガンうるさい。

・フライパンや鍋での乾煎りは腕が疲れるし時間がかかる。
ひとつも割れないまま断念したので想像だけど、多分うるさい。

・マグカップは割れるというか潰れる。
潰したい人におすすめ。

・ペンチ、思った以上に簡単かつ確実に割れる。
もうペンチという名の銀杏割り器。
うるさくもない。

 

正直なところ、ポスト・キッチンばさみはペンチが大本命だと事前に予想はしていました。
だったら最初からペンチで割ればいいようなものですが、まあ面白くないですからね。
それにペンチはペンチとしてすでに八面六臂の活躍を続けていて、中身まで割れた場合の匂い移りを避けたい気持ちもありました。
でも、まったく大丈夫。
力もコツも要らず、キッチンばさみのように手が痛くないから軍手もいらない。
不在によって美化されていただけで、はさみで銀杏を割るのは大変だったことを思い出しました。

勝手のいい方法は人それぞれだと思いますが、少なくとも以前の私のようにはさみで銀杏を割っている人には、一度ペンチを試してみてほしいです。
ないならいっそ買ってもいいかもしれません(何かと便利です)。
ラジオペンチではなく、画像のようないかつい「実家から持ってきました」的タイプがおすすめです。
私はもう頼まれてもはさみには戻れません。

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あと包丁はまだ試してませんが、多分この先ずっと試さないと思います。

遥かなるエレガンス (カバーの話 その2)

先日本屋さんで見かけた某雑誌のコピーが「エレガンス、ということ。」で、伸ばしかけた右手がなぜか引っ込みました。
はて、と考えて自覚したのですが、エレガンスには苦手意識があります。むしろ苦手意識しかございません。
自分がエレガンスに程遠い人間だからでしょう。

エレガンスに程遠い。
それは昔も今も同じようで、久しぶりにあった友人に「あら?なんだかエレガントな感じになったわね」などと言われたことは一度もありません。
「相変わらず貧乏くさくて安心したわ」とはよく言われますがね。

思うにエレガンスとは品であり知性であり、またそれらに裏付けられた立ち居振る舞いの美しさでありましょう。
エレガントな人は、あらゆることがきちんとしています。きちんは前提です。
急な来客があっても笑顔でどうぞとスリッパを出し、トイレも快く貸してくれることでしょう。
私のようにちょちょちょっと待ってとは言いません。
箸もナイフ&フォークも身体の一部のように使いこなし、しかし手羽先を手づかみすることも厭わない余裕もあります。
私のように年に一度の割合で誤って箸を噛み切ったりはしません。
椅子に腰かけるときと立ち上がるときに人間性が表れる、と聞いたので凝視してみましても、静かに座り、スマートに立ちあがるのです。
椅子がガガガと音を立てることはなく、よっこらどっこいしょなどとは決して言わないのです、いえ、私も言いませんけれど。

出したらしまう。
開けたら閉める。
点けたら消す。
子どものころから言われていることが未だにままならない私には、エレガンスは遥か彼方過ぎて眩しくさえないのです。

しかし、このままではいけないと、ときどきエレガンスへの一歩を踏み出そうとはしています。
去年はせめて静かに椅子に座れるよう、ダイニングチェアに靴下を履かせてみました。
椅子の脚カバーを編んだのです。
正しい一歩かどうかは知りませんが、嬉々として取り組みました。
ところが一年たって、気づいたら椅子がまた音を立てています。
気づいてからさらに半年程たってようやく確認してみたところ、擦り切れて靴下の底がなくなり、レッグウォーマーになっていました。
いけない、エレガンスが遠のく、編みなおそう。

 

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編みなおしました。

よし、この勢いであの雑誌を買ってみよう。
そう思ってさっき本屋さんへ行ったのに、なぜかハンターハンターの最新刊だけを買って帰ってきてしまいました。

おっかしいなー。

猫と占いと私

私の前世は猫だそうです。

大学時代の学祭で、パソコン部だったか情報処理研究会だったかの展示で前世占いをやっていて、パソコンにぴこぴこっと入力したらレシートのような紙がぴろぴろっと出てきて前世について書いてある、それが猫でした。
以下、覚えている限り正確に記します。

「あなたの前世は雌猫です。飼い主は30代男性のサラリーマンで、あなたをとても可愛がっていました。
彼は仕事を終えて帰ってくると、冷蔵庫を開けてビールとミルクを出します。
まずあなたにミルクを与え、あなたがミルクを舐める様子を眺めながらビールを飲むのが彼の日課でした。
あなたも飼い主のことが大好きで毎日を幸せに過ごしますが、彼は好きな女性の名前であなたを呼んでいました。」

いや、これかなり正確に書けたんじゃないだろうか。
自分でもびっくり。

数人で一緒に試したのですが、それぞれ違っていて、たとえば皇帝の寵愛を受けた美男子音楽家とか、馬に蹴られて死ぬ悪徳牧師とか、どれもパンチがあってみんなで回し読みしてげらげら笑いました。

しかし。
私だけ人間じゃなかったり並行世界のような時代設定もどうかと思いますが、やたらリアリティのある描写と笑い飛ばすには切実に過ぎるその幕の引き方、しかも友人の一人が「何かわかるわー。ぽいわー」かなんか(多分ノリで)言ったりしたせいで、いまもってこうしてときどき思い出してしまいます。
それ以前も以降今までも、○○の館や●●の母に見てもらったことはなく、前世は猫、というのがほぼ唯一の私に対する占術界からの啓示です。

猫は好きですし、実家ではずっと猫を飼っていましたし、上京してからは猫の集会に招かれることが何度かありました、多分。
だからあの占いを信じているわけではないにしても、「前世は何だったと思う?」と問われれば(意外なことに結構問われる)猫だ、と答えています。

 

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ところで件の占いが正しいと仮定して、そしてそれをうっかり知ってしまった身として、こういう前世であったということは現世にどう生かせば正解なのだろう。
知らなくていいことは知らない限り幸せだ、という教訓を得ることだろうか。
人によって与えられる幸せは所詮かりそめという悟りの上に人生を構築すべし、ということだろうか。
はたまた毎日ビールを飲む男にはご用心?まさか。
偽の恋人役を全うしたことで、徳は積めたのかしら…

実際はそんなことを頭に入れて「知ってしまった身として」生活してきたわけではまるでないのですが、思い出したついでに前世占いの意義について考えたり考えなかったり。

 

とにかくいちばん言いたいのは、あの占いの文言を書いた人は入るサークルを間違えたな、ということです。

言い訳の準備

 

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着なくなった服が捨てられません。

捨てられないのは服に限ったことではありませんが、とっちらかるので以下服に限って話を進めます。

化繊ものは掃除に使ったりしてわりとポイポイいけますが、綿、麻、毛まわりがとにかく溜まっていきます。
いつかまた着るかもと思っているわけではないし、「この服を着てあの方とあそこへ行ったわねうふふ」みたいなことでもありません。
「そのうち何かに使うだろう」と思って溜め込むのです。
実際使っているので、誰かに(というか自分に)とがめられても言い訳の準備はあるのですが。

こうなったきっかけはよく覚えていて、15年ほど前に雑誌で見たZakka・吉村さんのはぎれで作る鍋つかみです。
自分でも作りたいと思い、はぎれやタオルを集めても素材が足らず、「これはまあ、もう着ないな」というシャツを切って使った。
それが始まりです。

鍋つかみは、かなりたくさん作りました。
でも素材化した服は全然減らない。使うのはほんの少しですから。
せっかくなので同じ手法でトートバッグもいくつか作りました。
すると丈夫なバッグも欲しくなって、チノパンの足部分を使ったり。
スカートでエプロンも。
セーターは繋ぎ合わせてマフラーにしたり、トイレの便座カバー…の話は、以前書きましたね。

そんなふうに、あらゆる類の着ない服が時間をかけてはぎれの山と化し、果ては実家から持ち帰ったりもして、作業部屋の押入れはまあ、すごいことになっているのです。

 

 

「この服を素材にしよう」と決めたとき、まずやるべきはボタンやカン類を取り外すこと。
続いてリッパーで縫い目を切り、解体していきます。
ですがお察しの通り圧倒的な面倒くささ、そして糸くずゴミが想像を絶する量で生じます。
あるとき、何枚かの服を解体して出た糸くずを丸めてボールを作り、「これもとっておけば何かになるんじゃないか」と考えたところでやっと我に返ってボールをゴミ箱にロングスロー(当然外す)。
それからは縫い目に沿ってただ切り分けることにしています。
でもこの「解体作業」が、裁縫に疎い私には何かと勉強になりました。

たとえばジーンズの脇縫いなどでよく見る「折伏せ縫いのダブルステッチ」。
ぬいしろでぬいしろをくるむことで裏側にも布端が出ない、スマートかつとても丈夫な端処理です。

解体時には、通常1本の縫い目をほどけば済む作業が3倍になるため独り言の品の悪さに拍車がかかりますが、ふと、この縫い方は使える!と思ったのです。
裏も綺麗なので、半端なはぎれ(元・シャツや何やかやだったもの)を繋げていくには好都合だと。

で、作ったのが冒頭のお弁当包み。
まだ途中のつもりだったのでぐるりは切りっぱなしですが、もうそのまま何年も使っています。

 

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そして溜まりに溜まった白系素材を集めて作ったクロス。100㎝×200㎝の大作で、最初はテーブルクロスとして、最近は販売会のときなどに使っています。

 

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そして先月作った、tagotto用の風呂敷。
何となく思い付きで手縫いでやってみました。
楽しかったです。

 

 

折伏せ縫いを覚えたからといって途端にはぎれの在庫が片付くわけもなく、今日も押入れはすごいことになったままではあるのですが、以上が、溜め込む自分を反省したくなったときに読み返す用の言い訳でした。

シャツ・越えた山・一家言

シャツが似合いません。

理由は肩幅、首の長さ、顔の形が実にのびのびと「シャツが似合わないための必要十分条件」を満たしているからで、たとえるなら初めてのデートでショッピング中、ほやほやの恋人が「え?絶対そんなことないよ!!」と言うから着てみたのに試着室から出ると無言でチベットスナギツネみたいな顔される、というくらいには似合いません。

シャツだけではなく、襟があってかっちりしたスタンダードな服――たとえばトレンチコートやジャケットなんかも――が一切ダメなものですから、高校の制服時代は本当に憂鬱でした。
さらに大学新卒時にいくつか出版社を受けて全落ちしたとき、「毎日シャツを着ないで済んだ」という一点でプラス補正されるほど、当時は気に病んでいたものです。

比較的大丈夫なものを探し、これは!と思って買ってみても家で着るとガッカリで、これこそは!と思って買い足そうにももう見つからない。

何で今頃そんな恨み節を書き連ねているかというと、週末に某ショップで服の試着待ちをしていたら、同年代と思しきご婦人(A子さん)が襟ぐりの形とご自身の顔映えとの関係性についてご主人に熱く語っていたり、別のご婦人(B子さん)がアウトソールの色がもたらす脚長効果をご友人に説明していたり、というのをたまたま聞いたからです。

わかるー、と思いました。
きっとみんな若い頃の悩みとトライ&エラーがあって、それぞれが身に着けるものに一家言を持つに至ったんでしょう。
A子さんとB子さんが越えてきた山を思い、彼女たちとちょっと一杯やりたくなりました。

 

 

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展示会前に、着色などの作業用に買った古いシャツ。
もちろんこのままでは似合わないので、手を加えます。
私の一家言は「オーバーサイズ・プルオーバー・スタンドカラー(ボタンは閉めない)」。
なので、襟を直すのです。
台襟(襟と身頃の間の部位)があれば襟を取るだけで済むのですが、なかったので取り外した襟を細く切って、後ろ側で継ぎ足して、縫い直す。

 

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どうってことない作業でどうってことない仕上がりですが、満足なのです。
越えた山のおかげです。

 

でもそれはそれとして。
来世というものがあるならば神様、普通にシャツが似合ってみたいものです。