展示会のお知らせ

2021-08-25 12.18.39
 
 
 
中学の軟式テニス部引退の際、顧問の先生から3年生ひとりひとりに封筒が手渡されました。
一筆箋に書かれた私への言葉をずっと覚えています。

「誰にも見られず褒められず 野の花は美しく咲く」

 


 

庭の雑草で標本を作り始めてちょうど2年。
足元に自生する美しい草を見つめ、その名を知り、形をとどめたいと願って家と家のぐるりを往復する。
その日々と季節の繰り返しは誰の役にも立たない、ただただ自分のための時間でした。
雑草が、種子を残すためだけに花を咲かせるように。

なのに一緒になって感嘆の声をあげてくれる人がいて、たくさんの人に見てほしいと言ってくれる人がいる。
少し戸惑ってしまうほどに嬉しい、幸せなことです。

10月1日より、逗子・サクラヤマパーラーさんにて標本の展示をさせていただきます。
強いわけでも、特別に根性があるわけでもない。
でもきっと知恵と工夫をこらして私たちと共存している。
そんなそれぞれに、さまざまに魅力的な雑草たちを見にぜひお越しください。
店主とともにお待ちしています。

会期 2021年10月1日(金)〜10(日)
   月・火曜 休み
会場 サクラヤマパーラー

※詳細はサクラヤマパーラーさんのFacebookイベントページをご覧ください。

 


 

ちなみに顧問の先生が言いたかったのは、「自主練サボっていただろう」だと思います。
ごめんなさいサボっていました。

さよならなんて云えないよ

小中学生時代、夜6時になるとラジオを持って家のなかをウロウロしていた。
AMラジオで野球中継を聞くため、中京圏の放送がきれいに受信できる場所を探し回っていたのだ。
父も兄もドラゴンズファンだった。
当時はほぼ巨人戦しかテレビでは見られなかったので、そしてテレビ中継は7時からだったので、我が家のナイターはいつも東海ラジオスタートだった(だから今でも「イチ、サン、サン、ニ、東海ラジオ~」というジングルを歌える)。
ペナントレースを熱心に追いかけなくなって久しいが、最近でも夫(ライトな巨人ファン)に付き合ってテレビを観ていると、「肘を畳んでの内角打ちが上手いなあ」とか、「打ちも打ったり捕りも捕ったりやな」と、かつての名残のフレーズが感想となって口をついて出る。

高校時代は演劇部だった。
特に演劇をやりたかったわけではないが、最初に入った写真部の暗室がちょっと生き急いでいる先輩方のたまり場になっていたため即日辞め、友人に誘われるままの転部。
演劇にも映画にも詳しい顧問の先生と、静かで泣けるシナリオを書く部長がいて、本のこと、古い映画のこと、新劇の流れのこと、いろいろ教えてもらった。
主に音響担当で様々な音源テープを切り貼りしていたが、一度だけ大会で舞台に立ち、暗転ではける際盛大に転んだ。
20代前半頃まではよく小さな劇場でプロの舞台を観たりして、観るたびそのことを思い出して恥ずかしくなっていた。
実は今でも早口言葉はちょっと得意。

大学時代、今度こそはと写真部に(写真の話はしないが)。
文化部棟はわりと行き来が盛んで、美術部、歴研部、軽音部あたりの先輩後輩が日々出入りしていて、なかでも軽音部には友人が多く、しょっちゅう一緒にライブに行っていた。
友人のライブ、友人の友人のライブ、そしてサニーデイ・サービスやフィッシュマンズなどなどのライブ。
音楽はずっと聴き続けているが、ライブには以前ほど行かなくなった。
それでも、今も友人の演奏を聴きに行く日はとても楽しみだったり、シャッフル(未だipod classicを使ってる)で流れてきた懐かしい曲に泣きそうになったり、ということは、よくある。

 

 

かつて小沢健二が歌っていました。

「本当は分かってる
 2度と戻らない美しい日にいると

 そして静かに心は離れてゆくと」

今の私には心も縁も遠くなってしまったものであっても、だからもうこの世に必要のないものだ、とは思いません。
かつてそれを必要としていた私は、今のあなたかもしれない。
それがたとえばヨガであったり、銭湯であったり、小さな居酒屋であってもそう。
今それを必要としているあなたも、今の私だったかもしれない。
いつかの誰かの「2度と戻らない美しい日」にともにあるのは、決して生命を左右しない小さなものと、それを共有する人です。
心が離れたあとにも残ったものを見つめ、願わくば優しくありたいです。

 

 

いつ、何がぽかんと失われてしまってもおかしくない日々のさなか、友人と話していて思ったことでした。
ひとつもそんな話はしてないんですけどね、なんとなく。

雑草標本について

 

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2月から故あって自宅を離れている日が多かったため、ただでさえ更新頻度の低いブログが放置状態になってしまっていました。
一転して今は家に籠っておりますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

私はもともと家での作業時間が長いのであまり大きな変化はないのですが、それでも時間が出来たので、昨夏から作りためていた雑草標本を整理したり、庭に出て春の雑草を採集したりな日々です。
そしてふと、これは今、たとえばお子さんと一緒にやっても楽しめるのでは?などという考えが頭をよぎりました。
誰の何の役にも立たないかもしれませんが、簡単に、家にあるものだけでできるやり方を書いてみようと思います。

 

 

雑草標本の作り方

1.少量の水を入れたバケツなどに、家回りの雑草を採集する。
※かぶれを防ぐため、必要に応じて軍手をしてください。

2.雑草を水で洗い、布巾で軽く押さえて水分を取る。

3.4つ折り新聞紙の上にティッシュを敷いて、重ならないよう雑草を配置。大きすぎる場合は切る。

4.ピンセットで整えて…などとやりだすと進まなくなるので一切気にせず、思い切りよくティッシュを被せ、さらに新聞をのせる。

5.3と4を採集した雑草がなくなるまで、あるいは飽きるまで繰り返し、画集などの大きめ重めの本をのせて日の当たらない場所で放置。
※新聞紙がないとか諸々面倒だという人は、先月のテレビガイド的な不要な雑誌に直接挟みましょう。

6.一週間程度で乾燥終了。雑草を触ってみて、ひんやりした感じがしなければ押し葉の出来上がり。
※途中で新聞紙を交換すればより早く乾きます。その際、ティッシュと雑草は動かさないよう注意!
※そんなに待てないとか諸々面倒だという人は、電子レンジやアイロンを使う押し花のやり方を検索して試してみては。

7.ノート、クロッキー帳、画用紙などなど、家にある何らかの紙を台紙にして、マスキングテープで押し葉を固定する。台紙を立てても押し葉が倒れてこない程度に数か所留める。

8.別紙に雑草の学名、和名、採集地、採集日、採集者を記載して貼れば、一気に標本になるからびっくり。種類が分からなければ、いつか分かる日まで空欄にしておく。

9.再度採集に勤しむもよし、壁に飾るもよし、古本屋さんのオンラインショップで素敵な植物図鑑を探したり、台紙を出涸らしのコーヒーで染めてみたり、オリジナルの標本ラベルをゴム版で作ったり、好きな雑草とその理由を文章化したり、などなど、興味が湧いた方向に思うままに発展させて楽しむ。

 

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これは先月末に採取したノミノフスマです。可愛い。
私の傾向としては、一部葉が枯れていたり、虫食いがあったり、日陰でひょろひょろ徒長しているようなタイプが好きですね。
標本としてはまるでダメだと思いますが。

 

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こちらは昨秋のトウバナ。
押し葉にすることでぐぐっと魅力的になる雑草です。おすすめ。

 

 

きっといろんな工夫をして毎日をお過ごしのことと思います。
先日はスーパーでピンポイントでラー油が売り切れていました。
家族で手作り餃子大会をするお家が多いのかな?楽しそうです。
お菓子を作ったり、工作したり、踊ってみたり、あつ森に興じたり、いろいろやって万策尽きたと思ったら、ひとつの選択肢として雑草標本作りを加えていただければ。

地に足がついた日のこと

初めて下北沢へ行った日、マルチカラーのマフラーを買った。

東京へ出てきて間もない頃で、当時私は駅地下のお店で働いていて、その駅から徒歩数分のところにある古アパートの3階に住んでいた。
便利なわりに賃料は安く、外壁に貼られた青緑色のタイルと老婦人大家さんが飼っていたチンチラ(猫のほう)が可愛かった。

契約時に女性限定のアパートと聞いていたにもかかわらず隣人が男性だったり、それでも洗濯物は屋上に共同で干さなければならなかったり、他にもいろいろびっくり要素の多い物件だったが、大都会ハイだったのでそれもこれも「東京っぽい」と思っていた。
ちなみに隣人は大家さんの息子さんで、女性限定は嫁探しのためかと妙に納得してもいた。

このアパートでいちばん驚いたのは別のこと、マフラーだ。

夏に東京へ来て秋にマフラーを買い、冬に使って春に洗濯、翌冬押入れの奥から出したそのマフラーに10箇所以上穴が空いていて、「嘘やん」と思った。
虫との戦いを年中強いられる田舎の家で育ったけれど、ここまでひどい虫食いは見たことがなかった。
なのに、え、なんで東京で?嘘やん。

東京のアパートにもマンションにも普通にヒメカツオブシムシやヒメマルカツオブシムシはいると後に知ったけれど、そのときはとにかく驚いて、ショックというよりただ驚いて、それから、東京も地続きだという当たり前のことを実感した。
こうして田舎者の大都会ハイは人知れず終わったのだ、下北マフラーを犠牲にして。

 

いやいや、マフラーそれしかない。
でもこのまま使うのは恥ずかしい。
そんな理由で、仕方なしに繕った。

今ならダーニングで穴を埋めるか、極細糸で編んだモチーフを縫い付けるかすると思うが、当時はなぜか穴を丹念にかがっている。
刺繍糸と謎の熱意でもって穴を広げる勢いでぐるりんと。

 

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このとき夢中で繕った楽しさは今も覚えていて、その後の手しごと、たとえば何かを直すということや、tagottoの糸を巻く工程にも繋がっているような気もする。

 

 

 

 

ここ数年はまったく使わずしまいっぱなしになっていたそのマフラーを、思い切って湯たんぽカバーにしました。
虫食い穴も生かす形で巾着に。
虫が脇目も振らずに食べ散らかすだけあって肌触りがよく厚みもあり、湯たんぽカバーとしては必要十分。
形は変われどまだまだ長く付き合っていけるんじゃないかな。

 

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切ったり縫ったりしながら思い出した昔話でした。

フラグメンツあるいはエレメンツ

無印や近所で買ったノート、スマホのメモ、PCのTeraPad。
やたら何かを断片的に書き残して読み返しもしない。
年の瀬だし整理しようと思いました。
だいたい2年分くらい。
不必要になったもの(買い物メモなど)は消し、大事なもの(tagotto関連など)は別に保管し、などなどしていたら、ちょっとなんとも言えないメモが幾つかあったので、振り返りつつここにまとめてみたいと思います。
いつも以上に個人的でどうでもいい内容ですのであしからず。

 

 

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・素行 そぎょうじゃなくそこう

これはアレだ、いつも読み間違うヤツ。
多分、所業とごっちゃになっているんだと思う。
「しょぎょうとごっちゃになってるから」と頭のなかで確認してからじゃないと、今も「そこう」と読めません。

 

・濡れ落ち葉と耳年増

この組み合わせはなぜか、昔から年イチくらいで頭に浮かぶ。
語呂がいいからかな。
誰か何かのキャッチコピーに使えばいいのに。
長い間どちらも、特に濡れ落ち葉はもう四半世紀くらいは見たことも聞いたこともありませんが。

 

・さだめしさだまさし

まるで記憶にないけど、おもしろいと思ったんだろうな。
いつ使うつもりで書き残したのかと当時の自分に問いたい。

 

・オレンジとカラタチでオレタチ

高校時代の生物の授業で、掛け合わせの例としておじいちゃん先生が嬉しそうに教えてくれた新しい柑橘の名前。
急に思い出して最近メモした。
この先生に関しては、あとはハンカチを「ハンケチ」と言っていたことしか覚えていない。

ところで「オレタチ」という果物、あれから随分時間が経ったけれど全然世に出てないな、と思って調べてみた。
なんと名前がオーラスターに変わってた!
どっちにしろ知らないけど。

 

・感謝こそ…すれ…て…され…?

去年の春の展示販売会、両親が遠方からわざわざ来てくれた。
こういうものを作っている、ということはもともと2人に話していたが、販売会の日程などを私から連絡したことはなかった。
連絡すれば見たがるだろうと思っていたし、気軽に来れる距離ではないし、父は当時病み上がりでもあったので。
だから両親は私から聞いたわけではなく、私の幼なじみM(実家がはす向かい)が父とたまたま顔を合わせ、彼女との世間話で知ったらしかった。
共通の話題として私のイベントのことを持ち出したMの気持ちはわかるけれど、結果としてまあまあ大変だったので販売会終了後に電話でMに少しぶうぶう言って(「そりゃ言うわー、口止めしといてよー」という彼女の言い分はごもっとも)、最後に「ま、親孝行になってよかったけどね」と締めくくったとき、Mが電話の向こうでこう言った。
「そうやろ?感謝こそ…すれ…て…され…?文句言われたくないわー」

両親と夫が来てくれたこと、ついでに兄も来たがっていたけど断ったこと、母がイヤリングを買ってくれたこと。
いろいろあったが、友人が「感謝されこそすれ」をスッと言えなかったというとてつもなくどうでもいいことが妙に印象に残っていて、後日メモったのです。

 

・いや、私のなかであの人は、ローマ字でKEISUKE HONDAだから

確かロシアW杯が終わってしばらく経った頃、近所の商店街をぼんやり歩いていたら耳に飛び込んできた、女子中学生の言葉。
前後の会話の流れもこの言葉の意味もさっぱりわからないながらも漂っていたのはリスペクトの空気で、ちょっとふふふっとなったのを覚えています。

 

 

長くなってきたのでこのあたりで。

今年も本当にありがとうございました。
皆さま、どうかよいお年を!