ミシンでボタンホールのススメ

ミシンをお持ちの方で、自動ボタンホール機能を使ったことのある人は、わりと少ないのではないかと思います。
直線縫いやジグザグミシンなどと比べると、まず「押さえ」を交換するというハードルがあり、さらにあのカーテンレールとノギスが合体したような押さえの形そのものも、使いこなしづらいオーラが漂っていますから。

 

P1060608 (3)参考画像。左から通常の押さえ、ボタンホール用押さえ、ノギス。

 

ところでノギスっていいですよね。機能美の見本のよう。
大雑把の見本のような私にはハイスペックに過ぎますが、それでもたまには使いますよ。

 

さて、ボタンホール。
凝ったバッグや洋服を自作する以外では、好んで使う機会も理由もない、と私も以前は思っていました。
バッグも服もほとんど作らないので、長年この機能を使ったことがなかったのです。
でも、やってみると本当にすぐにできてしまうんですよ。
ボタンをひとつ付けるよりずっと早く。

ボタンホール自体は手縫いもできるし、ミシンで直線とジグザグを組み合わせて適当に縫ってもできますが、どちらもそこそこ面倒くさい。
このオートマチックハイテクシステムを使えば、押さえを取り付け印に合わせてポチッとな。
あとは放っておけば欠伸2回分ほどの時間でできます。
ちなみに我が家のミシンはそろそろ20年選手になりそうなbrother。
もう、ふたつの意味でブラザー。
それでもこの機能は搭載されています。
今のミシンはさらに簡単なのかもしれないし、押さえの形も親しみやすくなっているのかもしれません。

詳細な手順はミシンによって違うでしょうから説明書を読んでいただくとして、最近の使用例を。

 

 

P1060594 (3)古い羽織にボタンを付けた。

 

P1060601(2)着なくなったセーターの大きなポッケを切り取ってボタンを付けた。
隣の弁当箱は大きさ比較のために置いただけです。

 

あと、巻きスカートなんかのサイズ調整にもいいでしょうね。
「ここにボタンがあればいいのに」というところに迅速にボタンが付けられる、素晴らしい機能です。

ただ、失敗すると糸をほどくのが泣きたくなるほど大変です。
ドヤッと紹介した↑の羽織、生地が厚かったので二度も途中でミシンが止まりました(うち一度は針も折れました)。
必ず同じ生地、少なくとも似たような生地で試し縫いをしてください。
途中で止まるようなら縫い目を荒く調整してください。

 

ええ、どちらも説明書に書いてありますとも。

必死のパッチってなんだろう

唐突に季節感ゼロの話ですが、Vネックのセーターが好きです。
ずいぶん昔、真緑のVネックセーターを持っていて、V深め、裾と袖口のリブ長め、胸ポケット付き、と好きな要素が詰まったお気に入りの一枚でした。
しょっちゅう着ていたので、当時からの友人は未だに「カエルセーター」と話題にします。

このセーターにはもうひとつ特徴があって、両肘に楕円形の革があててありました。肘あて、エルボーパッチですね。
デザインとしては可愛いのだけれど、これさえなければ気軽に手洗いできるのに、と少し残念でもありました。セーターの肘なんて、そうそう破れないし。

と思っていたら、肘を破く人がいました、我が家に。

「カーディガンの肘に穴が空いた…」と無念そうに言われたとき、とっさに件のVネックセーターを思い出し、肘あての提案をしたらずいぶん喜ばれました。
こんなこともあるのねと、薄い革でパッチを作り、穴が広がらないようステッチをかけてから縫い付けたのが一昨年のこと。
ご覧のとおり、革ごと洗濯しているのがバレバレな見た目ですが、今のところ問題なく使えているようです。

 

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で、今年、別のカーディガンにも穴が空きました。

え?また?
しかもまたカーディガン?
カーディガン着て匍匐前進でもしてるの?
外で七人の敵と戦っていることの体を張ったメタファーか何かなの?

次々ハテナが浮かびましたが、私がVネックセーターが好きなように、彼はタートルネックとカーディガンが好きなので、放っておくと下に着ているタートルの肘も破れかねません。
またあてますよ、肘パッチ。
そろりそろりと匍匐前進しているところを想像したら、かがる針にもリズム感が出るというものです。

 

P1060509

 

今回は古いベロアのパンツを切って使いました。
革を使うよりずいぶん作業は楽ちんです。
あ、洗濯もね。

他にも、コーデュロイやツイードのチェックなんかも良さそうですよ。
セーターやカーディガンの肘、いつも破れて困ります、という方はお試しあれ。

Q&Aのような

先月末の受注販売会はたくさんの方に足を運んでいただき、無事終えることができました。
本当にありがとうございました。
会期中、アクセサリーについてはもちろんですが、それ以外にも多くのご質問をいただいたので、この場でいくつかお答えしたいと思います。

まず、「tagotto」という屋号について。
ブログの一番最初に書いたつもりでいましたが、読み返したら全然書いていませんでした。

無題
かれこれ5年以上前、手仕事関係で屋号を持ちたいと思い、考えた末に決めたのが「tagotto」でした。
以下、辞書からの引用です。

た-ごっと【手事】(名)①手先を動かしおこなうことの総称。また、その成果。主に特別な技術、設備を必要としないものを指す。たごと。②《間奏を意味する手事(てごと)の変化》息抜き、気分転換。

脳内辞書にしか載っていませんが、「特別ではない日のために楽しみながら手を動かす」という活動テーマをtagottoという架空の言葉に込めています。

 

次に、看板代わりに会場に持ち込んでいた「手」について。

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この素敵な一枚は渡邊加奈子氏の作品、その名も「Hand」です。
温度、湿度、匂い、そして記憶を纏う彼女の木版画が好きで、tagottoのロゴも彼女に作ってもらいました(今思うと、よくそんな横着を…と青くなりますが)。

いつかのどこかでこの小さな手を持っていた彼/彼女が、のちにその手で為したこと、為せなかったことについて想像すると、背筋が少し伸びます。
看板というよりもお守りのような、同時に警策(座禅のときのアレです)のようなものです。

 

そして最後、受注時に個人情報を書いていただくためのペンを立てていた糸巻きについて。

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趣味で糸を紡いでいるので、うちにはやたら糸巻きがあります。
実家がむかしむかし繊維工場をやっていたので親にもらったものもありますが、このふたつはかつて西荻にあった家具屋さんで買いました。
糸巻きとしては重いので、普段は工具を挿しています。
以上、特に伝えるべき情報はないのですが、「それは買えませんか?」と何度も言われてちょっとシュンとしたので、もう販売会には持っていかないと決めました。

 

でも、なんというか、木と金属の組み合わせっていいですよね。

アシンメトリーの憂鬱

tagottoではほとんどのイヤーアクセサリーを片耳ずつ販売しています。
お手持ちのアクセサリーに合わせてご利用いただければ、色合わせや形違いでも楽しんでいただければ、と思っています。

というのは今考えた理由で、本当は、私が両耳に同じピアスを付けられない。
なぜなら耳の位置が左右対称ではないからです。

昔はその事実にまったく気づいていませんでした。
小三の頃からメガネをかけているのですが、メガネが斜めになるのはメガネが斜めだからだと思っていたのです。

余談ですが、当時クラスにメガネの同級生はいなかったので、初めてメガネをかけて登校した日、それに関して言われそうなことはすべて言われました。

メガネザルとか。
アラレちゃんとか。
斉藤ゆう子とか。

あ、知ってます?斉藤ゆう子さん。
ヒントでピントですよ。
メガネの女性タレントなんて他にもたくさんいただろうに、とっさに「斉藤ゆう子みたい」と言った同級生のセンスに脱帽です。

まあ、どうでもいいですけど。

閑話休題。

ピアスをするようになって初めて、ずれているのは耳のほうなのだと知りました。
ナチュラルボーンアシンメトリーなのだと。
両耳に同じピアスをつけて鏡を見ると不安定な気持ちになるので、自覚してからは片耳のみに装着することが多くなりました。
片耳だけなら買うのにな、と購入を諦めたこともありました。
しょうがない、ナチュラルボーンアシンメトリーだからと(気に入ったので2回言う)。

そんな当時の自分のためにも、片耳ずつの販売にはこだわっていきたいのです。

 

 

P1060351 (2)

 

こっそりと告知します。

今週末、3月24日から26日まで、ケーキとコーヒーの美味しい場所でtagottoの受注販売会をさせていただきます。
このブログを単独でご覧いただいている、かつ関東近郊の方がもしもいらっしゃいましたら、以下より詳細をご覧いただき、足を運んでいただければ嬉しいです。

https://www.facebook.com/tagotto/

ささやか再考

『ささやかだけれど、役にたつこと』というレイモンド・カーヴァーの短編小説があります。
ある家族と、パン屋のおじさんの物語。

原題は『A Small, Good Thing』。
好きな短編で、接客業をしていた頃は常に頭の隅に置いていたくらいです。
想像力とプライド、という点において。

それはそうなんですけれど、同時にずっとモヤモヤしていたことがあり、その話を書きたいと思います。

 

※以下ネタバレ&雰囲気バレ注意、です。

個人的に『ささやかだけれど、役にたつこと』と言われてイメージするのは、たとえばこういうことです。

・台所のシンク下にゴーグルを吊るしておけば、泣きながら玉ねぎを切らずにすむ。

・トンカチを2本持っていれば、釘を打っているときに万が一トンカチの頭がすっぽ抜けて飛んでいっても、そのトンカチを直すためのトンカチを買いに行く必要がない。

どちらも私の体験談で、そんな小説を読みたい人がいるかどうかはさておき、『ささやか』には「いやね、あらためて言うほど大したことじゃないんですけどね」感が大事なんですよ、あくまで個人的にですけども。

お読みになった方はご存知のとおり、カーヴァ―の短編はまったくそんな話ではありません。
そんな話だと思って読み進むと、胃がきりきりします。
少なくとも私は初読できりきりしました。
そう、この憤懣やるかたないモヤモヤは一言で言えば「ささやか要素、ゼロやん」ということです。

実際の内容は割愛しますが、象徴的な最後のシーン。
暗闇のさなかにあって、——それがパンであれケーキとコーヒーであれカツ丼であれ——誰かと何かを食べて美味しいと思えて救われるのは、この世でもっとも大切なことの部類に入ると思うのです。
今日もどこかで美味しいものを作っているすべての人に感謝したいほどに。
それはちっともささやかじゃない、と15年以上も憤慨し続けているほどに。

ちなみに、このブログにはそんな大切な話は出てきません。
本当にちっさいことしか書きませんよ、という念を押したくて、サブタイトルが言い訳がましくなってしまったこともついでに告白しておきます。

 

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嘘をついてごめんなさい。
本当は4本ありました。