私の前世は猫だそうです。
大学時代の学祭で、パソコン部だったか情報処理研究会だったかの展示で前世占いをやっていて、パソコンにぴこぴこっと入力したらレシートのような紙がぴろぴろっと出てきて前世について書いてある、それが猫でした。
以下、覚えている限り正確に記します。
「あなたの前世は雌猫です。飼い主は30代男性のサラリーマンで、あなたをとても可愛がっていました。
彼は仕事を終えて帰ってくると、冷蔵庫を開けてビールとミルクを出します。
まずあなたにミルクを与え、あなたがミルクを舐める様子を眺めながらビールを飲むのが彼の日課でした。
あなたも飼い主のことが大好きで毎日を幸せに過ごしますが、彼は好きな女性の名前であなたを呼んでいました。」
いや、これかなり正確に書けたんじゃないだろうか。
自分でもびっくり。
数人で一緒に試したのですが、それぞれ違っていて、たとえば皇帝の寵愛を受けた美男子音楽家とか、馬に蹴られて死ぬ悪徳牧師とか、どれもパンチがあってみんなで回し読みしてげらげら笑いました。
しかし。
私だけ人間じゃなかったり並行世界のような時代設定もどうかと思いますが、やたらリアリティのある描写と笑い飛ばすには切実に過ぎるその幕の引き方、しかも友人の一人が「何かわかるわー。ぽいわー」かなんか(多分ノリで)言ったりしたせいで、いまもってこうしてときどき思い出してしまいます。
それ以前も以降今までも、○○の館や●●の母に見てもらったことはなく、前世は猫、というのがほぼ唯一の私に対する占術界からの啓示です。
猫は好きですし、実家ではずっと猫を飼っていましたし、上京してからは猫の集会に招かれることが何度かありました、多分。
だからあの占いを信じているわけではないにしても、「前世は何だったと思う?」と問われれば(意外なことに結構問われる)猫だ、と答えています。
ところで件の占いが正しいと仮定して、そしてそれをうっかり知ってしまった身として、こういう前世であったということは現世にどう生かせば正解なのだろう。
知らなくていいことは知らない限り幸せだ、という教訓を得ることだろうか。
人によって与えられる幸せは所詮かりそめという悟りの上に人生を構築すべし、ということだろうか。
はたまた毎日ビールを飲む男にはご用心?まさか。
偽の恋人役を全うしたことで、徳は積めたのかしら…
実際はそんなことを頭に入れて「知ってしまった身として」生活してきたわけではまるでないのですが、思い出したついでに前世占いの意義について考えたり考えなかったり。
とにかくいちばん言いたいのは、あの占いの文言を書いた人は入るサークルを間違えたな、ということです。