手しごとまわりのこと

流したり 洗ったり

先日「あ、そろそろトイレットペーパー買わなきゃ」と思い、続けてふと「トイレットペーパーって長いな」と思いました。
いや、トイレットペーパーそのものが長いのは当たり前なのですが、単語として。

ティッシュペーパーはティッシュ、トレーシングペーパーはトレペ、トイプードルでさえトイプーという略語が一般化しているのに、トイレットペーパーだけは頑ななまでに正確にトイレットペーパーです。
緊急性は他と比ぶべくもないのに。

トイレットペーパーを「トイパー」とか「トイペ」と略したこと、あるいは略した人に会ったことあるかな?としばし考えてみたけれど、ありませんでした。
もちろん略している人だって少なからずいらっしゃるでしょう。
そして例えば製紙業界やドラッグストア界隈には、専門の(簡略化された)呼び名だってあるでしょう。
でもそれが、誰もが知っている共通用語になっていないのはなぜなのか。

というようなことを考えていて、私は答えを見つけました。

人は本当に切実なとき、ただそれを「紙」と呼ぶのです。
そしてその状況はできるだけ避けたい/忘れたい類のものであるため、通常は呑気に「トイレットペーパー」と呼びたいのです。きっと。

 

 

長く長く続いたマンションの修繕工事がそろそろ終わりそうでホッとしています。
ガラス一枚を隔ててすぐそこに人がいるというのは、ずっと家で作業をしている身としてはなかなか気が休まらないものでした(最終的には慣れてしまって、お互い仕事しながらオリンピックも一緒に観戦しているような状態でしたが)。

特に騒音が物凄いときなどは、上記のような本当にどうでもいいことを考えてみたり、アクリルたわしを編みためたりしながら時間をやり過ごしていました。

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以前も似たようなパターンでトイレと台所をセットに何か書いたような気もしますが、仕方がないですね。
生活とはそういうものです。

さてこのリストバンド型アクリルたわしのいいところは、まあ特にはないのですが、とにかく何も考えずともすぐ編めます。
そして布巾と一緒に洗って干して使えるので、なんとなく衛生的な気がします。
あと自立します。

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某OIOI風の写真も撮れます。

しろも いろも

 

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もう20年近く前になりますが、友人が手製の小さな布バッグをくれました。

ガーゼ地に厚みのあるレースモチーフがラフに縫い付けられ、しつけ糸の束を持ち手にしている。
手縫い部分に使われているのは白の絹糸。
今じっくり見ても、どこもかしこも好きなテイストです。

と、言いたいのですがそうではない。
このバッグが、このテイストを好きな私を作ったのです。

これをもらってから、興味のなかったレースを違った目で見るようになり、かせ状の糸を可愛く思うようになり、あるときイベントで見かけた大量のしつけ糸を買うに至ったのです。

そして昨年末、リースの制作にそのしつけ糸を使いました。
かせ糸のままで輪飾りのようにねじって作ったリースと、その際に余った短いしつけ糸で葉のような羽根のようなモチーフを作ったリース
それがまた楽しかったので、今、しつけ糸でアクセサリーを作り始めています。

友人曰く、糸や古いレースはお母様が集めていたそう。
細く長くさまざまな縁あって、tagottoは今日も何かしら手を動かしています。

ありがとう。

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タイトルの「しろも」(白毛)は白いしつけ糸、「いろも」(色毛)は染色されたしつけ糸の名称です。
名前も可愛らしい。

紐を編む

私は人生における貴重な時間の多くを、靴紐を結び直すことに使ってきたように思います。

昨年の秋、雨用に買ったスニーカーで雨の日に出かけて雨のなか何度も紐を結び直すためにしゃがみ込んでるうちに、「いやいや、おかしいだろう」となったのです。
歩けば振動で結び目が緩むことなど周知の事実、これはいい加減解決されて然るべき問題なのではあるまいか。
スピーカーに話しかけたりする前に、我々にはやるべきことがあるのではないか。
それとも私が知らないだけで、人類はとっくにほどける靴紐から解放されているのか?
となったわけです。

すぐ調べたら、そりゃあいろいろありました。私が知らなかっただけです。
ほどけない靴紐、そも結ばない靴紐というものも。
そしてたまたま目にしたのがイアンノットというほどけにくいちょうちょ結び。
これはひょっとしたらすでに常識なのかもしれませんが、衝撃を受けました。
(動画よりも図説がわかりやすいので、気になる方は画像検索してみてください。)

ホントにほどけない!

ちょうちょ結び自体があまり得意ではない私が一念発起して覚え、以来とても快適なのです。
もっと早くに知っていれば、テニス部時代も立ち仕事時代も不毛な消耗は避けられたのに。
思い出せても特に嬉しくないエピソードの波が押し寄せましたが、それはともかく。

 

 

靴紐問題がめでたく霧散したと思いきや、年末、夫婦で出かける機会が立て続けにあって、すると夫のビーンモカシンの革紐が、乾燥のせいか嘘のようにほどける。
もう50mごとにほどける。
そのたび文句を言うでもなく結び直す夫のおおらかさに感銘を受けつつ、新しい結び方は覚えないこと、テクノロジー系靴紐には手を出さないことも知っているので、取り急ぎに彼の靴紐を編むことにしました。
編み紐なら引っかかってほどけにくいだろう、というただの思いつきです。

 

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コードの編み方は幾つかあるので試し編み。
いちばん上は、一般的な靴紐です。

①アイコード(i-code)
棒針2本で編むコード。
1段(3~4目)編むごとに編み地を返さず左から右へとスライドさせて編み続けます。
リリヤンのようなシンプルなコードが編めますが、目が揃いづらく時間もかかるのが難点。

②スレッドコード
余らせた糸をかぎ針にかけながら鎖を編んでいくだけなので、とてもスピーディ。
こちらもシンプルですが、靴紐には強度が足りないかな。

③エビコード
編み地を左にねじりながら斜めに細編みを編み続けるという、文字にするとなかなか斬新な編み方。
マクラメ的立体感のある編み上りが特徴。

 

 

今回は③のエビコードで編みました。
楽しくなって自分の靴にも。

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予想通り、普通のちょうちょ結びでもほどけません。やったね。
年をまたいでの解決となりましたが、我が家はそんな年末年始でありました。

今年もよろしくお願いいたします。

 

リース展

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12月9日から17日まで開催される、かまわぬ浅草店さんの4周年記念イベント『リース展』に参加します。
いろいろな素材を扱う作家さんたちのリースが会場に集います。
浅草へお越しの際は、ぜひその景色を見にいらしてください。

『リース展』
2017/12/9(土)‐12/17(日)
10:30-19:00
かまわぬ浅草店2F

詳細はかまわぬさんのHPをご覧ください。

 

 

正直に言いますと、私にとってリースはあまりなじみのない存在でした。
いつからか、特にこの季節はドアにリースを吊るしているおうちを見かけることが多くなりましたし、お花屋さんやショップでも素敵だなあと思ったりはしていたのですが、自分で作ったこと、家に飾ったことはありませんでした。

みんなは人生のどのタイミングでどんなふうにリースと出会うのだろう。
私にとってそのタイミングは、この『リース展』でした。

ところで、リースの意味について少しだけ。
リースの環は永遠の象徴で、それは終わりのない神の愛や長寿を表しています。
そして玄関に飾る理由は、魔除けと、ドアを開けて家を出た人が無事にまたドアを開けて帰ってくる、そのくりかえしがずっと続きますように、という祈りの意味もあるそうです。

今回声をかけていただいて、まったく知らなかったリースについて少し考えたり調べたりして、ああ、これは作りたい、と思いました。
手仕事のもとのもと、それもきっと家族の健康や幸せへの祈りだろうから。
どの国でもいつの時代でも、誰かが誰かの笑顔を思って手を動かしている。
リースがそんな風景のシンボルのようにも思えたのです。

薪を割る父親と、庭で松ぼっくりを拾い集める子どもたち。
台所では料理をしながらその松ぼっくりとハーブでリースを作るフライパンマザー。
そんな想像をするだけで、幸せな気持ちになります。

 

 

tagottoは、さまざまな糸をさまざまに使ったリースをいくつか出品します。
毛糸、綿糸、麻糸、そしていつも使っている絹糸も。
なかには母や祖母から受け継いだ糸もありますし、先月の手紡ぎ糸も使っています。
リース初心者ではありますが、この糸も、誰かの笑顔に繋がっていればと願っています。

あ、松ぼっくりとハーブは使っていません。
紛らわしくてごめんなさい。

糸車を回しながら

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個人的な秋の年中行事のひとつに、糸車の手入れがあります。
普段はしまい込んでいる糸車を拭いてワックスがけするだけですが、木の乾燥対策としても、出したついでに使ってみようという気になる度からしても、寒くなりはじめが頃合いだと決めています。
今年も手入れを済ませ、今週から久々に糸紡ぎを始めました。

 

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もこもこ太い双糸と、細い単糸。どちらも綿です。
何になるかはまた今度。

 

糸紡ぎは、編み物の次に付き合いの長い糸仕事かもしれません。
あるとき友人にスピンドルでの糸紡ぎを教えてもらい、押入れを圧迫していた古布団の中身が使える=押入れが空く、という動機でわたを引っぱり出しつつ紡いでいました。
でも糸が作れるという驚きと、親指と人差し指の間からするすると糸が生まれ出てくる感覚が癖になってしまい、スピンドルを回す右手首が腱鞘炎になってもサポーターを巻いて続けていたほど。

その後運よく熊本の古い糸車を購入することができ、インターネットと図書館と電話を駆使してパーツを作り、調整し、回し、調整し…の日々。
見かねた前述の友人が和棉収穫から布に仕立てるまでのワークショップ参加券をプレゼントしてくれて、ようやくまともに糸車を操作できるようになりました。
習うより慣れる、が基本姿勢ではありますが、習ってからは慣れるのが早かった。
以前少し触れた織作家さんと、ワークショップでお世話になった鴨川和棉農園さんがいらっしゃらなければ、挫折していたと思います。
本当にありがたいことに、それからは手首を痛めることもなくゆるやかに、へたくそながらも糸紡ぎを続けてきました。

編むにも縫うにも結ぶにも糸は必要で、糸を通してこれまでいろんな人に出会い、繋がってこられたような気がします。
私にとって糸紡ぎはそれを思い出し確認するという時間でもあるのだと、糸車のハンドルをくるくる回しながら思いました。

今紡いでいるのは、100年近く実家に眠っていた布団の打ち直し用の綿。
なんだか布団の中身ばかり紡いでいるようです。